随分時間が空いてしまいましたが

この前の記事から今までの事を少しづつ書いていきたいと思います。


地震が起こって、早い時点でアメブロに無事をアップして

京都や遠くにいる友に、私の安否を伝えられてたみたいです。

後日、お友達から、『ブログ見て、安心して、少ししてから(今するとさらに電話とか繋がらなくなるから)

連絡しようって思ったよ』と話してくれました。



『災害』という記事をアップしたその後

お店のスタッフと相談して、

同じ沿線の人で集まって動こうという事になりました。


電車は止まっているし、再開のめどがたたないという事だし

信号が止まってるから、バスも動かないし・・・


でも、まだ明るいうちに動いた方がいいのではないか?

暗くなったら動きたくてもうごけないよ という意見がでて


とにかく歩いてみようという事になりました



私と同じ沿線の人は三人で

私ともう一人は他府県からの移住組で土地勘が全く無いガーン

一人は地元の人でした。


とにかくなるべく線路に沿って移動しようという事になり

迷いながら歩きました。


周りにちらほら歩いてる人もいたので

なるべく人の流れからはぐれないように歩きました。


私は結構道迷うと平気でそのへんの人や、お店に入って

『迷いました、ここどこです?』と聞ける人なので聞きながら歩いていきました

皆さん親切に説明してくれました


途中何度も彼と連絡を取ろうと試みましたが、もちろん携帯電話は使えない

メールもまともにつながらなかったです。


時間が経つにつれ、人の流れが増え、道に人が溢れてました。

お祭りの時の人の流れみたいな勢いで、なかなか自分のペースでは歩けないので

びっくりしました


家の最寄の駅付近になって、ようやく、メールがまともに使える様になりました

彼は、仕事の関係上、災害(台風とか、地震とか・・・)になると対策せなあかん部署という事は

前々から聞いていたので、会社にいるんだろう。と分かってはいましたが

やっぱり、会社で対応中で、『今日帰れるか、どういう事になるか分からないし、

一人にしたくないから出来れば自分の会社にいててほしい』というメールが来てました。

が、時すでに遅し・・・とりあえず、家の状況も心配だったので、家に向かいました。

(ブログをもっとうまく使って連絡取ったらよかったな~と、後で彼とは話し合いました)



約4時間かかって家に到着しました。

多少、物は転がっていましたが、特に壊れたものなどもありませんでした。


テレビをつけ、あまりの事態に驚愕しました。

全く、状況を分かっていなかったので、

『宮城が震源地で首都圏にも大きな地震が来て、停電になったり、電車が止まって

 大変な事になってるんやろうな』位しか思ってなかったので

目に映る光景に絶句しました。


自分達の受けた被害なんてかわいらしいもんだったんだ。って思いました。




私は、京都出身なので、高校生の頃に『阪神淡路大震災』を経験していました。

あの時の揺れは『ドーン!!』と最初にものすごい縦の揺れというか衝撃を受け

その後に横に『ガガガガガ』と揺れたのを体が覚えています。


今回の揺れは、船が揺れるみたいな揺れが長く続いていたと感じていたので

阪神の時ほどの被害にはなっていないだろう。

首都圏は人が多すぎるから、何か起こるとパニックになるんやな~

京都やったら、電車止まっても、大抵歩いて帰れるし、自転車で大抵移動できるし

元々、電車とかで通勤してる人の割合少ないもんな~

と、思って歩いていたのです。


自分の思考とのギャップに本当に驚いて、申し訳なく思いました。




その後のこと、書くにあたっても

もっと大変な被害を受けている人が沢山いるのに・・・・という思いで

なかなか書けずにいましたが、


元々このブログは、私の日々の事を書く場だし

私の遠く離れたお友達に、私の今を知ってもらう場でもあるし

私の日常や、起こった事を、普通に書こう!と思い、遅ればせながら再開しました。



彼氏より早く、『大丈夫?』ってメールくれたラッシー ありがとう

tattaも、私の行動を予測してブログチェックしてくれてありがとう


書ききれないけど、沢山の人に ありがとうパンダ